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夕 凪 大 地

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「死神ルック 10(完)」

死神シリーズ、ようやっと完結いたしました!




 あれから八年が経っていた。
 俺はこの春、巡査部長に昇進した。相も変わらず交番勤務、自転車で繁華街をパトロールしながらたまに銀行強盗やバスジャックなどの大きな事件で早期解決に貢献し、だが高卒ノンキャリに手柄を立ててどうのなどという功名心は持ちようがない。だから誉れは適当にいけ好かない上司へ譲ってしまった。なのに巡査部長への昇進試験を拒まなかったのはもう少し給与が欲しかったからだ。両親の遺産を全部まとめて途上国の植林事業に寄付した俺は雀の涙ほどの薄給だけで単身寮を出ることにしたのだ。
 俺はビニール傘を差して薄暗い路地を歩いていた。引っ越したてのボロアパートは、自転車が二台並走するのもやっとなほど狭いこの路地に短辺を接したひょろ長い長方形の鉄骨二階建てで、鉄の骨組みしかない階段は風雨に晒され錆びきっている。計八室はどれも同じ六畳一間に玄関とキッチンが押し込められたワンルーム、トイレとバスは各階に共用が一つずつ。俺の給料で都心に住むにはこの程度の物件しか見つからなかった、と誤解を与えるのは忍びない。俺の給料で都心で、ペット飼育可能な物件が、この程度しかなかったのだ。だがまだペットは飼っていない。
 今の生活は平凡だった。だがそれなりに満ちていた。やり甲斐のある仕事、気の合う同僚、同窓会のたびに大学へ進学しなかったことを問い質してくる旧友たち。スーパーの半値特売品で献立をやり繰りするのにも慣れたし、コインランドリーで前の利用者が置いていった雑誌を捲りながらラジオを聞いて待ち時間を潰すのも隔日の日課になった。休日を署の剣道大会で暑苦しく過ごし、たまに図書館で太宰全集を読み耽る。俺は割と充実した人生を送っていた。胸を張って生きていた。俺に足りないのは、たったひとつだけだった。
 非番の夕暮れに欠かさない川沿いの散歩を終えた俺は、のんべんだらりと家路についていた。民家の庭木へ向けていた目をふいに下方へ落としたのは、アパートまであと数分の距離になった頃である。す、と足元に小柄な影が過ぎったのだ。雨は小降りになっていたが、傘を開けたまま道端へ置いてしまうとさっそく頭が冷たくなった。気にせず道端へしゃがみ込む。
「……君、捨て猫か?」
 くるぶしへじゃれてきた茶色い猫を抱き上げた。抱き上げて、ぎょっとする。猫は初めから骨と皮しかなかったみたいに痩せている。毛並みは雨に濡れて硬くごわつき、そこだけ膨らんだ腹にへばり付いていた。飢えて痩せると全身が棒のように細くなるが、腹だけは内臓や肋骨があって他より細くなり切らない。それで腹だけ出っ張っているように見える。
 俺は猫の鼻先へ顔を近付けた。
「ちょうど良かった。君を飼える家に引っ越したところなんだ。今なら冷蔵庫に食い物もある。来るか?」
 にゃあ、と猫が返事する。耳に齧られた傷がある。濡れている体をジャージの裾で拭ってやれば猫はぐるぐる咽喉を鳴らして喜んだ。
 だが、ひらりと腕から飛び降りる。猫はこちらを一睨みすると先へ立って歩き出す。付いて来い、に見えるのは俺の気のせいだろうか。俺は傘を拾って差すと猫の後に従った。
 猫は路地の端を歩いた。でこぼこの路地はそこここに水溜まりがあって、雨と埃で黒ずんでいる。猫は危なげな足取りでそれらを避けながらしばらく進み、数分歩いてぴたりと止まった。ボロアパートの真ん前だ。
「何だ、俺の家を知っていたのか? 二階の突き当たりだよ」
 俺は錆びた階段を指差してやる。ところが猫は階段を上らずその裏側へ回るではないか。階段は骨組みしかないためこちらからでも裏側が見える。猫は裏へ回り込み、にゃあ、と小さく一声吠える。
 そこに何かある。いる。黒い塊がもぞもぞ動くと金茶色の光が零れる。
「……もう、何もないよ……全部あんたが食べたじゃない……。――あんた、誰、連れてきたの?」
 塊は、階段の前に立ち尽くす俺へ気付いたようだった。あ、と漏らすと立ち上がる。暗がりにも子供だと分かる身長、煤けて汚れた髪は金茶。よろけながら階段を手で掴み、薄暗がりからこちらへ出てくる。
 瞳が翡翠色かどうかなんて、見る前から分かりきっていた。声を聞いただけで、いや、そこに人のいる気配を感じた時からそのかすかな気配だけで、俺はとっくにそれが誰だか悟っていた。
「……ここの住人? 悪いんだけど、管理人じゃないんだったら、しばらく内緒にしといてくれない? 雨宿りしたいだけだから」
 雨に打たれ続けたのだろう、あの時のように全身ずぶ濡れになっていた。あの時よりずっと小さく、低く、良くて小学校に入学したばかりかあるいは幼稚園児程度の小さな子供だった。あの時のような黒、黒いセーターを着ている。けれどそれしか着ていなかった。大人用のセーターから覗く素足や、ぶかぶかの襟ぐりから覗く首、顎、至るところに青黒い痣が刻まれている。肩へかかるくらい長めの髪にも奇妙に短い部分があった。
「もしかして、警察に通報しようとしてる? 大人ってみんなそうだね。とりあえず警察に引き取らせれば自分も僕も一安心だと思ってるんでしょ。少なくともあんたは面倒事から解放されるね。僕は……あんなところに逆戻りす」
「俺は警官だ」
「――嘘」
「そこの派出所に勤めてる」
 口が勝手に動いていた。どうでもいいことを言っている。まるであの時に戻ったようだ。ビルの屋上から自分で飛び降りたあの時。思ったのは――想ったのは、ただ。
「……アスフェル・マクドール……?」
 彼が突然呟いた。呟いてぱっと口許をセーターの袖で覆った。翡翠の瞳は見開かれ、俺を呆然と見つめている。
「……え、これ、あんたの名前? 僕何でそんなこと知って……あ、あれっ……何、これ……」
 彼が消滅した砂のような光を俺はまざまざと思い起こした。目の前の丸い瞳からころりと流れ落ちた涙がまさにあの時の光そのものだったのだ。けれど今度は、今度こそは、消えずに頬を伝い靴も履いていない剥き出しの足の甲へ落ちて、雨に洗い流される。

 彼は、あの時の死神だった。

 猫が鳴いた。衰弱しきった声だった。最期の力で引き合わせてくれたのだろうか、俺はぐちゃぐちゃに混乱しながらそんなことを考えた。頭と体は別のものになっていた。俺の体は傘を放り出して今度こそ消えてしまわないように強く、強く、ずぶ濡れで寒さに震える彼を――ルックを、思い切り抱き締めていた。
「……何で、あんたが泣いてるの……」
「馬鹿、って言うんだろう」
「言わないよ」
「言っていいのに」
 あの時のように。
「……ううん」
 ゆるく首を振るルックの肩へ、俺は目頭を埋めて泣いた。セーターは水を吸って重たく、真冬の川の水のように冷たかった。熱い風呂へ入れてやろう、嫌がるだろうが猫も一緒に。それから乾いた服を貸してやって、もつれた髪も解かしてやって、違う、そんなことは全部後回しだ。哀れな魂を今度こそ俺が、あの時と逆に、あの時を決して繰り返さないで、俺がルックを救いたい。違う、それも違う。
「だって……僕も泣きそう。馬鹿みたい。何でだろ……」
 ルックが涙声で囁いた。俺の肩へしがみ付き、痩せ細って骨の飛び出た踵を必死で浮かせて爪先立ちした。俺が泣きながらくすりと笑うと、ルックは不本意そうに鼻を鳴らして憤った。
「馬鹿にしないで」
「泣きそう、どころかもう泣いてるよ、ルック」
「嘘」
「まだ俺を信じないのか」
「……何で僕の名前」
「愛してる」
「僕の名前っていうか、ルックって、僕だけが知ってる僕の名前なんだけど、生まれたときからそれだけ覚えてて、でも戸籍上はもちろん違う名前になっ、……、愛……?」
 知らないのだ。あの時もルックは不思議そうな声を出していた。きっとルックは愛したことも、誰かに愛されたこともない。ずっと孤独だったのだ。だから俺のためにあっさり命を投げ出せたのか。それとも、どんな境遇に置かれようとルックの一途な潔さは失われずにあったのか。
「八年前にはフラれたんだ、君に」
「……僕、七歳なんだけど」
「あれから八年間片時も君を忘れたことがないって、信じるか?」
「だから僕は七歳なの。計算が合わないってば」
「合ってるよ」
 俺はルックの両足を膝から掬い上げた。七歳のルックは横抱きにしても俺の腕にすっぽり収まる小ささだった。くしゅん、と体相応に小さなくしゃみ。冷え切ったルックを抱いて俺は錆びた階段を上る。
 猫はよたよたと俺の後に付いてきた。階段を這うように上り、にゃあ、と振り絞るような声で鳴いた。体力はすっかり落ちているようだが猫飯を食わせればすぐ元気になるだろう。名前を付けて、鈴を結んで、お隣の小型犬へ近付かないよう言い聞かせねば。
「ちょうど今月から昇給したんだ。一匹と一人くらい養えるよ」
「あんた警察でしょ、僕を」
「俺はルックの里親になれないか?」
「……それ、養子縁組前提?」
「恋人前提。ルックが嫌でないならば、ね」
 ルックが俺に頭を凭れさせてきた。ルックの体は同年代の他の子どもよりずっと軽く痩せ細っていたが、それでも両腕にずっしりと人間らしい重みがかかる。ぎゅ、と抱くと、応えるように身を竦めてくれた。なのに凛とした清冽さで途端に背筋をしゃんと伸ばす。
 にゃあ、と猫が俺を急かすようにドアの前で飛び跳ねた。体を震わせて水気を飛ばし、鼻をひくひくさせている。
「……運命が、変わった……」
 ルックが死に損なった猫を見てふっと漏らした一言は、どうやら無自覚のようだった。


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