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夕 凪 大 地

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「靄の子守唄」

変態ですが、どうしてもどうしてもいきなり事後を書きたくてもうたまらなくなりました。
ええ、変態です。

「変態」がいい加減褒め言葉に聞こえるダメ人間。


パラレル坊ルクです。




 寝ぼけていたとしか思えない。
 残業続きで休日出勤続きで上司ともめ続けてあいつとすれ違い続けて、はいつものことだが、今日は加えて、人身事故により帰宅する電車で一時間以上も缶詰め状態。
 僕は心底くたくただった。
「……あんた、さぁ……」
 結局終電の乗り継ぎに間に合わず、あいつが車で僕を拾ったその足で入ったビジネスホテル。部屋はツインしか空いてなかった。らしい。あいつが言うのは半分以上が誇張か虚飾だ。
 僕はベッドに沈没していた。糊の効きすぎた硬いシーツは汗を吸ってほどよくしっとりし、それでも素肌へたまにがさがさ引っかかる。けれどあいつがマメにティッシュで僕の体を拭いている感触は、何だか上質な綿のように柔らかくって気持ちよかった。
「……ずっと、思ってたんだけど……」
「ん?」
 僕の声は自分の耳にもゆるく頼りなく反響している。薄い膜がかかったようだ。白熱灯三つきりしかない室内はぼんやり暗く、隙間なく並んだ二つのベッドとそれに隙間なく隣接する冷蔵庫付きテレビ台、隙間なく隣室とを断ち切るくすんだ白色の壁が、前後左右から僕を密室へ閉じ込めたみたいな気にさせる。悪い意味ではない。丸まって縮まってぎゅっと眠るのに最も適した環境だ。
 僕の頭へ大きい枕を差し入れながら、アスフェルは僕の耳を撫でた。
「眠いんだろう?」
「思ってたっていうか、別に、あんたのことなんかほんとにどうだっていいんだよ……」
「そうだな。俺にすっかり夢中だと認めてくれるはずもない」
「夢中じゃないもん……」
 アスフェルの声も、薄膜の靄とアスフェルの手に覆われて耳までしっかり届かなかった。向かいの家で壊れかけのラジオがざあざあ鳴る音を介して囁く。そんなイメージがどこかで聴いた曲といっしょに脳裏へ雑然と思い浮かぶ。
「……あんたさぁ……」
 僕は、自分がいったい何を言っているのかあまり分かっていなかった。
「さすがに無茶をさせたな。悪かった。もう寝た方が良いよ」
「ヤだ……」
「うとうとしているくせに?」
「あんたに指図される謂れは……」
「まったく、微睡んでいても強情だな」
 ふっと苦笑の息が聞こえた。髪を梳かれる。頭皮に引っついて残った汗がアスフェルの指に乾かされる心地だ。毛先がもつれているのだろう、髪の根元を抑えられ、ほぐされている気配がする。僕はすでに半分以上目を閉じていたらしいから頭上の所作は見えていない。
「……あんたは……どこまでしたことがあるんだろうって……」
 この辺りから、僕の記憶は非常に不明瞭である。アスフェルがちょっと身じろぐのを感じたことは覚えている。アスフェルはちょっと身じろいで、珍しく相槌までに間があった。
「――何の話だ?」
「僕は、あんたが生まれて初めてだったけど……。あんた……すごく手慣れてたじゃない」
「……そ、そう、かな」
「僕と同じ立場になったことも……あるんでしょ……」
「今、どうしても答えるべきか?」
「だってあんた……ぼくがすきなとこ、ばっか、しって、……」
 アスフェルの指は僕の耳の斜め上で止まっていた。
 あんたが与えてくれる快楽を僕はいつも享受していて、一度も返したことがない。そもそもソコがイイとかイヤとか、僕は一度も言ったことなんてないと思う。だけどあんたは僕の身体を細微な点まで知り尽くしていた。初めてこんな行為に及んだ、中学二年のあの日から。
「ぼくだって……あんたのこと、しりたいって、ちょっともおもわないわけじゃないのに……」
 スタート地点が違っているのだ。何も知らなかった僕と、すべて経験してきたみたいに慣れていたあんた。こんなところでまで競争意識を剥き出しにして悔しがる僕は無様だから隠していたけど、本当は、僕の知らない、僕と出会うまでのあんたのことが、この頃しょっちゅう気にかかって仕方ないのだ。いつも胸に燻っている。
 四月から社会人になり視野が広がったせいだろうか。それとも。
 僕は完全に寝ぼけていた。どこまで口に出し、どこまで真剣に考えていたことだったのか、おぼろげにすら覚えていない。
 五月晴れのからりとした陽気がもやもや曖昧に漂っている、空調を入れなくても快いホテルの一室で、眠たくて眠たくて、だけど、あんたに、絡みたかった。あるいは構ってほしかった。そんな芳しい夜だった。
「……だけど、あんたは……」
「――おやすみ」
「あんた、が……」
「おやすみ。ルック」
 止めていた手をアスフェルが再び僕の髪へ滑らせる。肩まで毛布を引き上げてくれる。頬へ当てられたアスフェルの手のひらはいつになく温かい。結局ベッドは一つしか使わないんじゃない、と場違いな批判もあっけなく睡魔に崩れ去る。
「……ルック」
 混濁する意識はまるで、子守唄が僕を包んでしまったようだった。


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