気になったことはとりあえずネットで調べてすませちゃうんですが、良くないなーと反省している昨今です。
特に口コミ。
口コミはあくまでも、科学的あるいは多側面からのデータにもとづく事実ではなく、ある1つの主観的感想でしかないんですよね。
だけど「活字」としてネット上で読むことで、信憑性の高い情報であるという錯覚に陥ってしまいます。
そもそも、活字が正しいという根拠はどこから来るものか。
やはり本やそこに載っている字は正しいものだという前提が脳に刷り込まれているんでしょうね。
教科書や辞書、新聞など、正しいものしか書かれていないという前提を私なんかはまず持っていて、本を疑ってかかることなどまずないのです。
よく考えたらこれも著者の主観が介入している主観的な情報でしょう。
特に新聞なんか数社読み比べると同じ事実でも全然違うイメージを受けることがありますね。
でも活字信仰は容易に消えてくれないのです。
少なくとも噂話や講演講話よりも活字は編集者その他多くの人によるチェックが加わることで正確さや客観性が若干増すのではないかと考えてしまう。
これも活字信仰の一端でしょう。
そしてネット上の活字。
ただ活字だというだけで、変に説得力を生み出しているように思います。
少なくともウソではないんじゃないか。
情報の発信者すなわち書き手は基本的に誠実な気持ちで文を書いているのではないか。
wikiを辞書代わりに使う私は、ネットを信じすぎている気がします。
何だか小難しいことを言いやがりますね私。
何のことはない、使い始めたハンドクリームの評判をネットで検索した結果、自分の使用感とはかけ離れたいろんな口コミがあることにビックリしちゃったという話です。
ほかにも、現在まさに手探り状態で進めているお仕事(仕事かよ)について調べてみても、無責任なコメントのやり取りへ呆気にとられてしまったり。
でも私は最初それを信じてたんだよ。
ようやく目が覚めてきたけど。
知りたいことを知るのって実はものすごく時間と労力がかかるのかもしれない。
ラクしようとするからダメなんですかね。
今日はやけにシメっぽい日記!
引きこもり生活1ヶ月突破でさすがに気がめいってきました…。
この1ヶ月で靴を履いたのはたった3回なミラクル。
化粧は4回もしたよ。 ←「も」ってオイ
お出かけしたいなー。
そんで古本でいいからホモに触れたい!
今までは割と男クサいのが好きだったけど、今は無性に少女漫画風のキラキラしたスゥィートホモを読みあさりたい。
受がもうコレ女の子でいいんじゃねェのって感じのやつ。
アレがアソコに何の潤滑剤もなく初回でスルっと入るようなやつね(笑)