ちょっと前、ツイッターで「受けは攻めのためなら自分が死ねるという方。攻めは受けのためなら他人を殺せるという方」って内容を見かけまして。
なるほどなー!
けつを差し出すという、ある種自己犠牲的な役割を担うからには、心のどこかで自己犠牲的な発想を常に持っているということになるのかー!
坊ルクとか当てはまりますよね。
なるほどねーなるほどねー。
で、話がいきなり飛びまして、「しゃばけ」2巻を読んだんですけども。
この「しゃばけ」シリーズは、主人公が病弱だけど頭脳明晰な17歳男子で、その主人公と、主人公を守る妖怪2人がメインキャラクターなんです。
まぁ主人公総受けですな。
さて、このしゃばけに先の受け攻め判定理論を当てはめてみると。
何と、当てはまらないんです!!!
攻めは妖怪2人のうちどっちを主人公とカプにするか悩むところなんですが、どちらにせよ、主人公のためなら平気でその他すべてを殺せます。
主人公さえ無事なら他はどうでもいい、って内容を平然と言います。
だけど主人公は、自己犠牲的な部分が少ししかないんです。
お人好しな子だから多少は自己犠牲的な面がなきにしもあらずなんですが、たとえばルックたんのようにゴリゴリの自己犠牲基地外(褒めてます)ではないんですよね。
どっちかというと、自己犠牲よりもしたたか。
自分には攻めのためにも、他のみんなのためにも、力になりたいと思ってもできないことがたくさんあるので、自分にできることをこつこつやっていこうと考えるタイプなんです。
つまり!
しゃばけの場合、「受けは度量の広い方。攻めは視野の狭い方」なんです!!
あと私、自分の中でもう1つ受け攻め判定の基準があります。
泣き顔がかわいい方は受け、泣き顔が綺麗な方は攻め!
涙がぼろぼろあふれる方が受けで、すーっと流れる方が攻めです。
もちろん例外は多々あり。
しかも、私いわゆるリバ可なので、そんなこと言って逆カプでも全然問題ありません。
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